起業への動機と経過

介護事業起業への動機


計画の動機は、私の祖父がくも膜下出血で倒れ約2年間の間意識不明で、80歳になり肺炎で亡くなったことがきっかけでした。 当初入院していた総合病院より3ヶ月目でこれ以上の治療は見込めないとのことで退院勧告が出されましたが、祖父母は二人暮らしで自宅療養が困難な状況のため、別の病院の療養型病床へ転院となりました。

私の実家は、県北にある美里町(旧小牛田町)という田舎町で、私は祖父、祖母、父、母、妹の6人家族で当時暮しておりました。私の創業の動機となりました亡った祖父は、私の母方の祖父です。 
その祖父と祖母は二人暮らしで一緒には暮らしてはおりませんでしたが、同じ町内に住んでいましたので、私は、幼い頃からよく遊びに行っていました。その祖父はとても優しく病気になるまで、町内会の会長、老人クラブ会長、定年まで勤めていた会社の役員など様々なところで活躍しており、私はそんな祖父が幼い頃から大好きで、いつしか自分の将来の目標となる本当に尊敬できる存在となっていました。

しかし、病は突然訪れ、祖父は意識不明で人口呼吸器を常に使わなければ生きて行けない身体になりました。そして、献身的な病院での治療も届かず、療養型へ転院となり亡くなったのです。
私は、突然寝たきりになり、話も出来ない状態で口は開いたまま、四肢の硬直も進み、以前とはまるで違うその姿に、強いショックと悲しみが絶えませんでした。

また、病床での看護、介護は私達家族を苛立たせることが多く、病室を訪れると、祖父の目にはめやにがたまり、髭は伸び、硬縮し常に強く握られている手は悪臭を放ち、口から食べることのできない祖父へ、○○ちゃんお昼ですよと、胃ろう用の経管栄養食を持ってくる看護師さんを見て、こんなところに居させたくないという思いが募りましたが、現状は在宅療養が困難だという複雑な思いに駆られました。

人は、一人ひとり、それぞれの人生を生きてきた人間であることを理解し、尊重し、向き合うことが、看護・介護にとって最も重要であると私は考えます。人生最後の時に、物のように扱われ幕を閉じるなんてことは決してあってはならないことで、私は、最後まで人間らしい人生をおくることのできるように関わっていくことで、どの様な状況下に置かれている方であっても、最後に少しでも良かった、幸せだったと思って頂くことのできる仕事をするんだという思いが、起業の動機です。


設立に至るまでの経過

家族の介護と死を経験し、介護福祉への道に進むことを決め、大規模の老人介護施設で働きました。そこで学んだ様々な経験から、介護される側の高齢者の方々の多くは、老いても自分の住みなれた家で自分らしく生活を送りたい、という強い思いを持っていることを実感しました。

また、介護する側の問題も多く、私を含め30代前後の同世代で父親、母親が、共働きをしていて、仕事と子育ての両立の問題を抱えていることを目の当たりにしました。

これからの社会を築く担い手となる私達世代が、よりよく働くことができること。
老いを迎えこれから人生の総決算を送られる方々が、住みなれた家で自分らしい生活を安心して送ることができること。
そして、だれもが生きる希望や情熱を持ち続け、生きている喜び、生きる喜びを老いも若きもお互いに、この実感を共有できる社会作りに貢献できる組織にしようと考えました。


事業の目的

従来の日本の家族社会は、子どもが一人前になった後、親は定年退職をし、親夫婦が加齢に伴う身体的変化、社会的変化と共に老いを迎え、今度は子ども世代が親を支えるといったことが当たり前のように行われていました。
ところが、現在では核家族化や共働き家庭の増加により、家族の扶養互助等の機能が低下し、高齢者が高齢者を介護しなければならない老老介護。それは、精神的、肉体的、経済的負担が大きく、将来に多くの不安を抱える「老後」の現実があります。

また、共働きにより仕事と子育ての両立の問題など、子育てに対する不安や負担の増大により、子どもを産み育てることへのためらいによる出生率の低下などが挙げられます。

私達は、そのような地域の方々のニーズや、何らかの手助けを必要としている、高齢者、障がい者、父親、母親等の方々に対して、相互扶助の精神に基づき、在宅支援、自立支援、子育て支援に関する事業を行うと共に、地域福祉の向上、地域コミュニティ作りを行い、共に支え合う地域をつくり、自分らしい生活を安心して送ることのできるサービスの体制を整え、誰もが迎える「老い」を不安なく迎えることのできる社会作りを目的としております。